Gotoです。
以前、「ツールは人を超えない」というお話をいたしましたが、
今回は「知識は技術がないと活躍しない」という切り口でお話いたします。
まず前回のお話をサマリーしますと、人の技術に合ったツールを選択しないと、
ツールの能力も引き出せないばかりか、より悪い結果が生まれるという内容でしたが、
今回も主役は「人の技術」となります。
ICTの世界では「まずよく勉強をして」なんていう言葉が多く聞かれませんか?
座学で勉強をしたうえで、実際に触ってみて技術を高めるという想定なのですが、
果たしてそれで人材は育っているでしょうか?
ひと昔前は「見て盗め」だったり「聞くより慣れろ」と言っていました。
なんとも今どきでない言葉達ではありますが、冷静にどうしてそういう言い方になっていたのか?
を考えてみると、とにかく経験を積み、自分で考えて、そして失敗しながら、
技術を身に着けることを優先していたという風には見られませんでしょうか?
ここでいう技術とは「求められた結果を自分で実現できる」ことと想定しております。
料理であれば求められたように食材を処理し、味付けをし、仕上げをする。というような。
違う例として私の趣味であるラジコンカーの世界でお話いたしますと、
ラジコンカーをまっすぐ走らせ、自分が想像したとおりに左右に曲がることができ、
いつでも停止させることができる。
自分の感覚とラジコンカーが一致するように操作することができる、
という状態が「技術が高い」と言えると考えます。
偶然ではなく、意図的に結果を生み出すことができる。
こういう技術を身に着けるべく、基礎的な修練を繰り返し、
何度でも同じ結果が得られるように時間をかけて努力をしなければ、
技術は絶対に身に付きません。
これは様々な分野での天才と呼ばれる人たちこそが、
基礎的な修練を重要視していることからも明らかです。
では、ここまでお話した
「偶然ではなく、意図的に結果を生み出すことができる」技術を持ち合わせていない人が、
YouTubeやブログや書籍を読み漁って、知識ばかりを蓄積した場合どうなるでしょうか?
先に例にあげたラジコンカーの場合ですと、
ラジコンカーの調整方法や、サーキットの攻略方法、
機器の取り扱いのコツばかりを「知識」として蓄積したところで、
それを操作する技術がなければすべて「宝の持ち腐れ」でしかないのです。
もっと言えば、その時間を技術修練に回した人とは、
大きな差がついているという残酷な結果すら待っています。
ここまで具体的な例を出しながら、技術と知識の関係についてお話してきました。
情報が豊富な時代ですので、どうしても知識が先に目に飛び込んできてしまいます。
そして、それらはとても魅了的に見えたりもするものです。
しかし、そんな知識は技術があってこそ活きるものであり、
技術が知識を使うのであって、知識が技術を使うわけではないのです。
今一度、ビジネスシーンであれ、趣味の取り組みであれ、
真剣に取り組む物事の中で、自分が技術をしっかり身につけられているのか?
を見直してみてはいかがでしょうか?
なにかちょっと違った景色が見えるかもしれませんよ?
本日は「知識は技術がないと活躍しない」というお話をいたしました。
なにかの参考になれば幸いです。