大学卒業後社会人となり、なんだかんだずっと続けてきている秘書職ですが、それまで秘書になりたいとは思ったことはありませんでした。
今回はそんな私の秘書職生活を振り返ってみます。
■秘書職との出会い
きっかけは、新卒後に配属された部署がたまたま秘書部だったということ。
私自身は営業所を希望していたので、入社前に配属通知を受け取り、営業には向いてないと判断されたことにガッカリしたものです。
流れに任せて、いつのまにか15年も経っていました。
秘書志望でもなかった私が続けてこられたのは、秘書は仕事というより人生においての学びが想像以上に大きいと感じてきたからです。
大手日系企業3社、外資企業1社で経験してきましたが、今回はその中でも20代-30代前半の未熟な頃を、2回に分けて振り返ってみたいと思います。
■初めての秘書職
新卒後、大手日系メーカー企業に就職した私は、そのまま本社秘書部へ配属になりました。「秘書部」が何の仕事をする部署なのかまったくわからないくらい無知でした。もちろん名称の通り、誰かの「秘書」をするということくらいは理解できたのですが。
新人研修のときに人事の人にちらっと質問したところ、「入社式の壇上にいた人たち(役員)があなたの同僚になるんだよ(笑)」と冗談ぽく言われて愕然としました。
あの壇上にいるおじいちゃん(おじさん)達が同僚だなんて。年齢層、高すぎる!
ずっと女子校だったので、楽しく明るい共学オフィス生活を想像していた私は、目の前真っ暗。アホ丸出し状態の新人でした。
研修期間が終わり、いよいよ配属部署へ。
秘書部の場所はビル内でも孤立した役員フロアーにあり、フロアに到着しても外から見えないブースにありました。役員秘書室あるあるだと思いますが、あれ仰々しいですよね。
中に入るとやさしそうな女性の先輩ばかりで安心したのを覚えています。
ホッとしたのも束の間。すぐに株主総会があり、また会長社長交代の役員改選時だったので配属直後からとても忙しく、目まぐるしい毎日が始まりました。
就任パーティもあり、多方面からお祝いの品が届いたり来客もひっきりなしの状況。お礼状やお返しの手配も数が多くて大変でした。
また5月の紫綬褒章の対応も重なり、新人で初めて知る社交マナーについて行くのに必死。教えてもらう時間もないほどで、先輩を見よう見まねでやっていくしかなく迷惑かけまくりだったと思います。
■覚悟を決めた時
最初がそんな状況だったので、腹を括ってやるしかないという根性はこの時に身についたのかもしれません。
大雑把でいい加減な私にとって秘書業務は合わない、という感想しか持てませんでした。
同期たちはそれぞれビジネスに関わる仕事をしているのに、私は家庭のお母さんがするような事の延長をしてるだけだと不満に思う日々。
その不満タラタラ意識を変えたのは、部署の明るい雰囲気と上司です。
「バンバン段取りしていけよー」が口癖の秘書部長。
私の恩師です。秘書の配慮が全ての調整に必要だと言う事を教わりました。
普段は仕事してるの?寝てるの?(笑)という感じなのに、いざという時 迅速に対応してチャチャっと解決するのです。
部長って実は仕事できるんですねえ、とご本人に言うと、生意気だな、ふん!と、いつも笑ってくれていました。
普段は文句言って居眠りしてるように見えるけど、実は目開いてるのかしら?
このクセのある部長に興味津々。観察して本人のモノマネしてみたり。
初めはおふざけで観察していたのですが、部長の仕事の仕方を見よう見まねでやるようになり、秘書仕事への不満もなくなりました。
主要役員のスケジュールを把握して、打合わせ内容も理解している。急に社長等に呼ばれても、だいたいの予想がついてすぐに対応できる準備をしているのです。
デスク周りも整理整頓されており、必要な資料が倉庫のどこにあるかも正確に把握している。
社内社外問わず人脈も広く、すぐに適材適所へ対応を依頼していくテキパキさ。すごいなと、シンプルに尊敬しました。
三つ子の魂百まで、なくらいに今も大きな影響を受けています。
■ここまでの振り返り
ただ、秘書という役割の本質については20代の私にはきちんと理解出来ていませんでした。
専務付秘書を担当していましたが、日々の仕事をこなすだけで余裕がなく、視野も狭く。
周囲の優しさに甘えた仕事ぶりなのに、一丁前な口ぶりだったなあと。今思い返しても恥ずかしいです。
単に知識やメソッドを覚えても、教養や人としての中身が追いついていないと、何しても浅はかというか説得力にかけるのが秘書の難しいところかもしれません。
後編へ続く